60年代にフリー・ジャズからスタートして、チャールズ・ミンガス・コンボ、ジョージ・アダムスとの双頭バンド、そのかたわらソロのキャリアも着実に積んでたヴェテランがなぜここに、という感じでした。
80年代のアダムス=プーレン・バンドなんて大人気だったんですけど。
ああ懐かしの「Song From The Old Country」。
“19歳になった1963年の秋のこと。私はノースカロライナ州グリーンズボロの劇場の裏で立っていた。レイ・チャールズのコンサートのインターミッションのあいだ、自分のアイドルを一目見ようと待っていたんだ。
私は彼と彼のバンドによる驚くべき最初のセットを目撃したばかりで、きっと彼らは一息入れに裏に出てくると考えていた。彼らに会ってどうするかなんて全く頭に無かったけれど、とにかく彼らに近づきたくてたまらなかった。彼らやレイに会いたかった。
視界の隅にライターの炎をとらえたのはその時だ。誰かがタバコに火をつけたんだ。レイのバンドのアルト奏者、ハンク・クロフォードだってことはすぐに分かった。彼はレザーのジャケットとブーツを実にクールに着こなしていた。真夜中近かったが、彼はサングラスをはめたままだった。
私は暗がりの中に呆然と立ち尽くして、彼がタバコをゆっくりとくゆらせるのをただ見ていた。話しかけるべきかどうか迷いながら。何と話しかけるべきか見当もつかなかったが、とにかく私は「What'd I Say」を聴いて以来彼のサウンドとフレージングに首ったけだった。
やがて劇場のドアが開いて他のバンドメンバーたちも姿を現した。彼らは集まって話したり笑ったりしながら、時々出待ちをしている一般人と言葉を交わしたりもしていた。
レイ・チャールズその人が姿を現したのはそのときだ。私は歩いて話しかけられるくらいの距離にいたが、完全に緊張して硬直していた。何か話しかけたかったが、何を話そうが他の追っかけと同じようなくだらない話に聞こえてしまうのを恐れていた。この人物とその音楽に対する私の尊敬の念はそんなに薄っぺらいもんじゃない。私がハンク・クロフォードやデヴィッド・ニューマン、なによりレイ・チャールズと知り合う時には、同じミュージシャン仲間として、そして彼らが知っているミュージシャンとして知り合うべきだ。
その瞬間に決意したんだ。私はいつかきっと彼らにメイシオ・パーカーという名を知らしめると。One of these days you're all gonna know me。”
このいい話が自伝の序文代わりになっています。
ミスター・バンクスのことはかなり人生の師、のように考えているようで、色んなインタビューにも出てきますね。
ジェームズ・ブラウン・バンドを飛び出して作ったバンド、オール・ザ・キングズ・メンのファースト・アルバム『Doin' Their Own Thing』での追悼曲がこちら。
Maceo and All The King's Men - (I Remember) Mr. Banks