2013年1月17日木曜日

続き

まいど。

大雪の翌日の朝にヤクルトおばさんが自転車ですっ転んで積んであったヤクルトがそこらじゅうに散乱してちょっとした渋滞が起きていておばさんは雪の中必死でヤクルトを拾い集めていた、という事務所の女子の目撃談があまりにも哀しかった今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
所長さんそういう時は力ずくでも止めてあげてください。

さてエド・ブランドさんの続きを書くと言いながら放置しておりました。
テレビでダイオウイカ観てるヒマがあったら早く書けと我ながら思います。


パザント・ブラザーズのプロデューサー、アレンジャー、楽曲提供者だったエド・ブランドさんはシカゴ生まれ。
クラシック音楽の教育を受けてオーケストラの楽譜もかけたそうです。
しかし人種差別の残っていたシカゴの音楽シーンに嫌気がさして60年にNYへ移住。
すぐにそこでも仕事にありつきます。

イイ人なブラントさんはシカゴの同輩のNYでの仕事も世話してやったりしたそうで、当時シカゴから東海岸へ出てきて仕事が無かったサン・ラー楽団もブラントさんのおかげでこんな仕事にありついたそうです。

Sun Ra and The Blues Project - Batman Theme ('66)


そう、サン・ラーのカタログの中でも珍盤で有名なバットマンのLP。
クレジットでは演奏者はDan and Daleって名前になってますが、実際はサン・ラー楽団のコア・メンバーと、ブラッド、スウェット&ティアーズを結成する前のアル・クーパーが在籍したブルース・プロジェクトのメンバーによる演奏だとされています。

これをお膳立てしたのがブラントさん。
ちなみにバットマンのテーマってニール・ヘフティ作曲って知ってた?
ヘフティさんはカウント・ベイシー楽団黄金期にたくさんの楽曲を提供したので有名な人です。

あとは60年代中盤にライオネル・ハンプトン楽団でやった仕事も大事。
この曲とか。

Lionel Hampton and His Inner Circle of Jazz - Greasy Greens ('67)


67年でこのサウンドだもんなあ。
しかもライオネル・ハンプトンなんて大御所に8ビートやらせるという。

大御所と言えばこのアルバムもプロデュース、作曲など全面的にブランドさんの作品と言えるもの。

Dizzy Gillespie - Stomped & Wasted (from Soul & Salvation, '69)


昔このアルバムCD化しましたよ。

あとはこれまたシカゴのフィル・アップチャーチのMilestoneデビュー盤のアレンジャーとか。

Phil Upchurch - Feeling Blue ('68)


サックス隊にジョン・ギルモア(ts)とかパット・パトリック(bs)とかサン・ラー軍団が参加してるのもシカゴつながりですね。

しかしこういう安っぽいジャズ・ファンク書かせたら天才的ですね。
馬鹿にしてるんじゃなくて、ジャズとR&Bの境目を積極的に取り払っていくような、すごく重要な役割をブランドさんは果たしたのではと思っています。

ブランドさん、この頃にはVanguardという昔からある名門レーベルに参加、ジャズ系を中心にプロデュース作を多く生み出します。
70年代のVanguardではエルヴィン・ジョーンズとかクラーク・テリーとかのアルバム手がけてますが、印象深いのはこれとか。

Bunky Green - Ali Theme / I Write The Songs (from Visions, '78)


どこかで聴いたメロディだなあ、と思ってたら猪木ボンバイエだった、というワケです。
こんなカッコいいクロスオーヴァーになるとはね。
ちなみにギターは若き日のハイラム・ブロックさんです。


というわけでポップ・ミュージックの黎明期である60年代にジャズとR&Bの垣根を取り去った上で、それをポップなフォーマットに落とし込んだブランドさんはジャズ・ファンク愛好家のオレとしてはかなりの重要人物なワケです。

こういう人の活躍によって、70年代のフュージョンとかクロスオーヴァーとかが生まれたと言っても良いのではと思います。
それはひいてはレア・グルーヴの起源のひとつと言っても良いかもしれませんね。



以上、今日はちょっとマジメな感じですいません。
また頑張ります。


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