2014年4月24日木曜日

2014/4/24のFunk 裏 Recommend

まいど。

Facebook見てるとボブ・ディランさんの来日公演に行ってきた人が感想書いてるのを良く目にしますけど、どうやら大御所にありがちな昔のヒット曲オンパレードなベスト盤的ライヴじゃなくって、最近の曲を中心にオンゴーイングな感じのステージをされてると聞いて、さすがライク・ア・ローリング・ストーンな師匠だな、と感じ入りました。

それで思い出しましたけど最近twitterに流れてきたこの動画が異常に感動的だったので貼っておきますね。



見てたら知らない間に目から汗が出てたよ。
なんだかリスペクトが感じられるのがいいですよね。
こういう「愛さずにはいられない馬鹿」を考えられるのも作れるのもまた才能だと思われ。




今週のFunk 裏 Recommend
先週からはじめました「メイシオ・パーカー・ストーリー」ですが、通常の3倍くらいの方に記事を見ていただいたようで、なんともありがたいと同時に、やっぱりメイシオさん人気はすごいなあと素直に感じた次第です。

今日は2回目。
自伝本から抜粋したいところ、書きたいこと、紹介したい音源、がバラバラなのですが、いかんせん文字数にも限りあるのでお許しください。

冒頭に抜粋したレイ・チャールズのコンサートに初めて行くシーンですが、当時は1959年かな。
たった半世紀ほど前の話ですけど、この頃はまだこういった人種差別的な行為がなされていたことは、特に平和な日本なんかに住んでいるとあんまり想像付かないですよね。

この自伝にも何度もそういったシーンが登場しますけど、メイシオ少年の住んでいたノースカロライナ州キンストンの町(東海岸側、だいぶ南の方)でも、居住区や学校が白人黒人分かれているのは当たり前で、映画館なんかも分かれており、新作映画の封切りはなぜか白人館の方が数週間早かったとか。


でもその後大学生になったメイシオさんが再び街にやってきたレイ・チャールズさんを観に行ったときには、もう人種隔離のロープは無かったそうです。

この2回目のレイ・チャールズのコンサート、思いあまったメイシオ青年は今でいう出待ちのようなことまでやっています。
ちょっと長いですが、その箇所を自伝から抜粋してみますね。

“19歳になった1963年の秋のこと。私はノースカロライナ州グリーンズボロの劇場の裏で立っていた。レイ・チャールズのコンサートのインターミッションのあいだ、自分のアイドルを一目見ようと待っていたんだ。
私は彼と彼のバンドによる驚くべき最初のセットを目撃したばかりで、きっと彼らは一息入れに裏に出てくると考えていた。彼らに会ってどうするかなんて全く頭に無かったけれど、とにかく彼らに近づきたくてたまらなかった。彼らやレイに会いたかった。
視界の隅にライターの炎をとらえたのはその時だ。誰かがタバコに火をつけたんだ。レイのバンドのアルト奏者、ハンク・クロフォードだってことはすぐに分かった。彼はレザーのジャケットとブーツを実にクールに着こなしていた。真夜中近かったが、彼はサングラスをはめたままだった。
私は暗がりの中に呆然と立ち尽くして、彼がタバコをゆっくりとくゆらせるのをただ見ていた。話しかけるべきかどうか迷いながら。何と話しかけるべきか見当もつかなかったが、とにかく私は「What'd I Say」を聴いて以来彼のサウンドとフレージングに首ったけだった。
やがて劇場のドアが開いて他のバンドメンバーたちも姿を現した。彼らは集まって話したり笑ったりしながら、時々出待ちをしている一般人と言葉を交わしたりもしていた。
レイ・チャールズその人が姿を現したのはそのときだ。私は歩いて話しかけられるくらいの距離にいたが、完全に緊張して硬直していた。何か話しかけたかったが、何を話そうが他の追っかけと同じようなくだらない話に聞こえてしまうのを恐れていた。この人物とその音楽に対する私の尊敬の念はそんなに薄っぺらいもんじゃない。私がハンク・クロフォードやデヴィッド・ニューマン、なによりレイ・チャールズと知り合う時には、同じミュージシャン仲間として、そして彼らが知っているミュージシャンとして知り合うべきだ。
その瞬間に決意したんだ。私はいつかきっと彼らにメイシオ・パーカーという名を知らしめると。One of these days you're all gonna know me。”

このいい話が自伝の序文代わりになっています。

ミスター・バンクスのことはかなり人生の師、のように考えているようで、色んなインタビューにも出てきますね。
ジェームズ・ブラウン・バンドを飛び出して作ったバンド、オール・ザ・キングズ・メンのファースト・アルバム『Doin' Their Own Thing』での追悼曲がこちら。

Maceo and All The King's Men - (I Remember) Mr. Banks

このアルバムのことは以前コラムに書きましたよ。

最近のアルバム『School's In』でもこんな美しい曲が。

Maceo Parker - Song For My Teacher

ジェームズ・バンクス先生はメイシオを教えたあと、ロイド・プライス楽団に入ったそうです。
ので60年代初頭のプライスさんのLP聴けばひょっとしたらソロくらい取ってるかもしれないけど、どんなサックスだったか聴いてみたいよね。


では今日の一枚の音源紹介。
やっぱタレンタインだね。

メイシオさんの過去の雑誌のインタヴュー読み直したら、耳コピみたいなことはほとんどやったことが無いけど、あえて言うならタレンタインだけはやった、的なことがちゃんと書いてありました。

タレンタインってあんな顔だし、元スターだし、最近はすっかり軽視されてるような気がしますけど、とんでもないスタイリスト・個性派ですからね。
ああいう人をホンカーと呼んで十把一絡げに考えるのはどうかと思う。
彼がCTIで『Sugar』を大ヒットさせたのがどれだけ意味のあることか。
サクブラ誌でも徹底的にタレンタイン特集やるべき。

メイシオみたいになりたいと考えてるサックスの人は、逆にタレンタインからやっても良いんじゃないでしょうか。
デヴィッド・ニューマンやクロフォードよりもこっちの方が近道だと思われ。

Stanley Turrentine - River's Invitation

テーマの2コーラス目くらいの大事なところで「ブリッ」とミス・トーンしてしまうのをいつも「ああ・・・」と思いながら聴いてしまうやつです。
タレンタインは最初期のハードバップ的なやつよりも、この時期くらいからのソウル・ジャズ風味の作品の方が持ち味が存分に出せてていいのです。
このアルバムはしかし面子もすげー豪華。

Stanley Turrentine - Mattie T.

このソロなんかで良く使ってる、わざと頭を呑んで裏から入るフレーズ、が非常にR&B的で、メイシオさんに受け継がれたのはこういうところなのでは、と。



どれか1枚と言われれば『Cherry』をおススメします。

以上、いっぱい書いたので疲れました。
来週はジェームズ・ブラウン・バンド入りする話をお届けする予定です。
また頑張ります。



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